快哉湯のあらまし
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台東区下谷で親しまれた銭湯 快哉湯
 東京 台東区下谷の快哉湯は明治末期に創業、関東大震災により一度倒壊したが、昭和3年(1928年)に再建され、ほぼ当時のままの佇まいで家主様により運営されていた。2016年11月に惜しまれながら幕を閉じることとなった。
銭湯建築快哉湯の佇まい
 通りから見える快哉湯外観は、入母屋造り、瓦屋根が特徴的な玄関、その奥に天井高の高い脱衣所と浴室の佇まいが見える。都内の下町を歩くとそのような佇まいが残る銭湯も見られるが、この快哉湯は入谷地域では一際存在感を放っていた。 中に入ると番台、「快哉湯」という文字が入った古時計、天井を見上げると格天井、男女の壁の堺には全身鏡が存在する高さ5メートル以上の脱衣所空間。引き戸で仕切られたその奥には富士山のペンキ絵、綺麗に掃除が行き届いたタイル張りの洗い場、ハイサイド窓が存在する高さ7メートル以上の浴室空間。 昭和初期に新潟の宮大工が作り上げた銭湯建築快哉湯は、現代人の専門家が見ても見事な味わいある木造の大空間である。
建築の保存再生
 まちに親しまれてきた快哉湯を「なんとかして守り繋げたい」という思いを胸に、家主様との対話を重ねてきた株式会社ヤマムラの新たな事業として快哉湯の建物活用、運営について任せて頂くことになった。 歴史ある建物であり、なおかつ木造大空間である旧銭湯を改修するには様々なハードルがあった。まちに親しまれていた外観はほぼそのままの形状で修復し、内部の大空間は内側から新しい木構造で支える等の創意工夫をして大きな改修を終えた。この建物を自社で活用・運営していくことを見据えて、設計から施工までやり遂げたことも大きな成果となった。
快哉湯のこれから 銭湯からOFFICE&LOUNGEへ
 戦後の日本で当たり前となってしまったスクラップ&ビルドによる開発の流れの一方で、歴史ある建物、身近に存在している建物を壊さずに大事に「保存・再生」していく考えのある人々も増えているだろうか。個々人の思い出、まちの歴史が詰まった建物は一度壊して廃棄されたらまちの履歴はまっさらにリセットされてしまう。「まちの記憶を繋いでいく」という大きな命題を掲げ、自分達の拠点となるOFFICEとまちに開いて交流するLOUNGEを二つの柱とする複合施設としてスタートすることになった。
快哉湯MAP
日比谷線入谷駅4番出口から徒歩2分