コラム
COLUMN
快哉湯保存再生の軌跡
快哉湯との再会

私は2003年に高校を卒業して、工学院大学建築都市デザイン学科に通うことになった。

1~2年は八王子キャンパスの広々とした環境で過ごし、3~4年及び大学院は大都市の新宿キャンパスで過ごした。

 

大学3年以降、私は兄と台東区入谷のマンションに暮らし始めた。

JR鶯谷駅から山の手線一本で新宿駅に通えるのは大変便利だった。

田舎育ちの私から見ると入谷も新宿もビルが密集している都市であったが、

入谷には細い路地に入ると八百屋さん、肉屋さん、お花屋さん、喫茶店等心和む風景が

多く残っているように感じた。

大学3年というと、今思えば自分の転機の一つで後藤研究室という日本の歴史的建造物の保存修復を
専門とするゼミに入った。

 

「研究室の雰囲気が良さそう」「設計課題に苦手意識がある」

「建物調査に参加すれば日本全国に行けるらしい」「新しいものより古いものが好き」

というような当時の学生としては少し消極的な動機で研究室の面接を受けた(笑)

 

無事に受け入れて頂き、後藤研究室での活動が始まった。

一番初めの訓練として川崎民家園に行って古い茅葺屋根の民家の実測調査をした。
設計には苦手意識を抱えていた自分でも、目の前に在る建物の図面を描くときは手が動いた。
研究室の先輩も実際の建物を正確に描いて寸法を入れていく野帳と呼ばれる作業が物凄く早く綺麗な人が多く、
大工さんの経験でもあるのかなあと思うくらい部材の細かい納まり等を熟知している人もいて、
自分が建築の分野の入口にも立っていないような気持ちになって急に焦りを感じた。

そして、大学3年後期から修士2年の間、出来るだけ多くの建物調査に参加して様々な建物を測って描いて仕上げる、
そして分析することに夢中になった。この実測調査というものを通して、畳1帖のスケール、柱間に始まり、
建物の細部の寸法の感覚を少しずつ掴んでいった。
不思議なことに、既存建物の実測をして人間が気持ち良いスケール感というものを掴むと、
気持ち良い空間の設計をしてみたいという願望も沸いてきた。
ある時から、まちに既に存在している建物を見て、描いて、記録したり、次の使い方を考えたりすることが
日常生活の大半をしめるくらいハマっていた。

そして、地域に残る味わいのある古めの建物がどんどん好きになっていくに従って、大学の調査だけでなく
自分で調べて好きな空間の引き出しを出来るだけ推し広げていきたいと思うようになった。
初めは雑誌やインターネットで自分好みの空間を探すわけだが、古民家というワードで探すと当然ながら個人宅なので
文化財になって展示公開しているような場所以外は見れないことが多かった。そうなると、喫茶店やギャラリーになっている
場所を訪ねるしかなかった。

大学の調査、旅行、実家に帰ったとき等あらゆる時間を使ってとにかく自分が皮膚感覚で好きな空間を探す旅をしており、
その旅は未だに続いている。

 

旅の途中に突然思い出し、もう一度行きたいと思い訪れた空間(家から数メートル)がまさに快哉湯だった。

幼少期に訪れた快哉湯は非日常的な感覚が強すぎて映画の世界のようだったが、このまちの居住者として訪れると

生活圏に在りながら日常的に稼働している空間に凄く親近感が沸いた。

その後、都市の生活に疲れを感じたときには度々ここに来るようになり、徒歩圏内にある貴重な癒しの場になった。

 

この場所で育った父親に電話をして「快哉湯に通っている」と伝えたら驚き、父親の東京出張の際は一緒に快哉湯に行くようになった。

 

中村出