コラム
COLUMN
快哉湯保存再生の軌跡
快哉湯との出会い

私が快哉湯に入ったのは小学校高学年のときだった。 当時私は山形県新庄市に住んでおり、お盆や正月に父方の祖父母の家に行くために、神奈川の葉山に出かけた。
父の実家は葉山だとばかり思っていた。
父の兄弟も父以外は神奈川に住んでいたので、横浜、鎌倉、葉山、横須賀等に遊びに行ったことも記憶している。

横浜にラーメン博物館ができたというので、私と兄と両親で新庄から横浜へ行って体験した。
大空間の中に屋台のようなものが複数並び、いろんな種類のラーメンが食べられるということでワクワク感はあったものの、何か物足りない感じがしたのだけははっきり覚えている。わざと古びた雰囲気を出そうとしているお店に対して映画のセットのように感じたのかもしれない。

親が、さて帰るぞと言って都内のマンションの一室に帰った。
ホテルでも祖父母の家でもないこの部屋は一体何なのだろう。
実はこのマンション(台東区下谷)が建った場所に父の実家と貸家があったそうだ。

真夏の東京は暑いし、空気も水も美味しくないし、人が多くてなんだか怖い、、
このマンションが建つ場所は車が多く通る昭和通り沿いで真夜中まで騒音が鳴り響いていたので、蛙の合唱と虫の鳴き声で眠る新庄とは全く環境が違った。

しかし、昭和通りの一本裏の通りには田舎にもあるような木造2階建ての家が建ち並び、御米屋さん、八百屋さん、お豆腐屋さんもあり、ご近所さん同士の穏やかな会話を聞いて少し安心した。その裏通りを少し歩いて行った先に「快哉湯(かいさいゆ)」があったのだ。

一番初めは父親に連れていってもらった。(おそらく小学校高学年のとき)
立派な宮造り(当時はそのような名称は知る由もない)の外観、木札の下駄箱、中に入ったところに番台に迫力のあるおばあさま(おそらく現家主さんのお母様)が座る、銭湯のマナーを多少強い言葉で言われたことだけを記憶している。中に入ると天井が高く、男女の脱衣所を仕切る鏡付の壁、体重計、壁面には地域の映画館の情報やイベント情報のチラシがたくさん掲示されている。
奥を眺めると洗い場と富士山のペンキ絵、古びた壁と建具、中に入ってみると脱衣所よりさらに天井が高い。(実際7m以上)湯舟に浸かりながら、おそらくご近所さん同士が世間話をしている。

地元新庄にはない独特の銭湯空間と雰囲気に圧倒された。
マンションに帰り、私は父に言ったそうだ。
「ラーメン博物館より凄かった。」
エンターテイメントとして作られた空間よりも、地元では体験したことがなかった東京の老舗銭湯の日常空間に幼いながらも魅了されてしまったのである。

その後、大学進学と同時にまたこの快哉湯に通うことになる。